明日が、カロタイプの日だという記憶が頭かっらすっ飛んでいた。いかん、何もやっていないぞ。むぅ〜。まずは、ちびちびと溜まりはじめたフィルムを現像しなくちゃならないんだよね。ワークショップ始まる前に現像させてもらおうかなぁ。むぅ〜。
DMデザインは、とりあえずとりあえず固まった。
デザインを考えつつ、自分の名前が角張っているのが気になる。前から分っていたのだが、改めて「四角いなぁ〜。」としみじみする。原稿用紙のマス目にぴっちりハマっている風情。
次はキャプションをちゃんと書く段階で、また大波がありそうだな。谷川俊太郎はすごい。が、頭から離れず、最近こればかり。天才のまねしてもしょうがないので、と、言うかできないので、それは諦めているんですけどね。
私の写真は、場所も時間も被写体もばらばら。しかも、ドキュメンタリーのように出来事を説明するものでもない。日々の生活を写しているものでもない。写真をまとめている物理的な前提条件が無い。正直な所、光と影のトーンがあれば写っているものは何でも良いだよね。
しかし、非常に個人的な嗜好に基づいて撮った写真で、その、嗜好の部分を説明しなくちゃならないわけなのだが、いつも小難しい言葉を使わないし、オノマトペやらそんな言葉を使っているので、「だって好きなんだも〜ん。」を説明できない。
その前提条件の無いと思われる写真を作っている人のキャプションって小難しい事書いている傾向があるような気がするんですよ。で、最近、「それは、そうなっちゃうしかないのかもしれないけど…。」って思うようになった。しかし、それ読んでも意味わかんなくて、結局その写真を見るための橋渡しには成らないんですよね。見る側から言えば、文章無くても同じというか。意味分んないものを提示する意味があるのか疑問中。
師匠は、「それでも、最後まで読ませる文章」って言うけど、2Bのグループ展で小難しい事書いたら一発でザザーっと添削されまくりそうな予感あるけどなぁ。
言葉は記号だから、ある抽象的な物事を説明する時に使うための言葉ってのが決まっていて、それは、日常では使わない言葉なので分りにくいとされているダケかもしれないんだよね。学習が必要な言葉だよね。
どうせ、自分には小難しい文章は書けないけど。