昨日、白岡さんが主宰していた旧カロタイプ講評講座のメンバーで、前から予定してた「写真みせびらかす会」をする。場所はカロタイプ。写真見せて、あれこれ意見をもらう、人の写真をあれこれ好き放題言う会。「白岡さん引っ越しちゃって、講座できないかもだけど、有志で、そういう場が欲しいよね。」ってなんとなく「年明けたら、やれるかなぁ。」って、思ってたら、友人がやる、って動き出したので、貸し会議室探してみたりしたけど、お値段結構するし、写真見やすい環境か分からずで、う〜ん、って思ってたら、カロタイプが借りられる事になり決行。
13時〜16時までの予定だったけど、時間内に終われずで延長して、18時まで。10名参加。久しぶりに写真見た。楽しかった。
まさか、この会を始める前に、白岡さんの訃報を聞く事になるとは思わなかった。昨年、白岡さんの体調が悪い事は端から見てても分かりすぎるほどだったが、病状の詳細はまったく明かされてなかった。本当に最近まで病気の事は、まったく知らされてなかった。
白岡さんが、カロタイプを今のオーナーさんに譲っるって事が決まって、暗室番3人で昨年年末と今年年始に、片付けの手伝いして以来、約3ヶ月ぶりにカロタイプの敷居を跨ぐ。あそこのドアを開けるまで、実は、少し緊張してた。
ドアの表札が変わってた。部屋のレイアウトも変わってた。収納棚がなくなって広く感じる。デジタルプリント用にMacが導入されてて、プリンターも置いてある。知らない場所に連れてこられた猫みたいに、まずは部屋をウロウロする。暗室は相変わらず。
名前は同じだけど、違う場所になってた。だから、白岡さんの名残が少なくて泣かずに済んで、普通に居られて助かった。
2008年秋からカロタイプのWSに参加してから2015年まで、約7年とちょこっとお世話になった。今、計算してみて初めて7年という時間に気がついた、なんかもっと短いような気がしてた。写真を始めてから半分以上の時間をカロタイプで過ごした事になる。今から思えば、私がカロタイプ暗室番3号としてお手伝いするようになったのは、白岡さんの体調が良くない事が理由だったんだろうな。お客だった私に「いろいろあって、来られないから。」ってお願いされたんだ。家が近くて、午後、時間あったからね。2年ちょこっと店番手伝ったのかな。最初は「暗室使っていいから。」が条件だった。一昨年くらいから、お給料少し出るようになった。隙あらば、ちゃっかり暗室使って我儘させてもらった。有り難かった。
白岡さん、講評講座の時は、タバコ休憩はしても1分も椅子に座った事が無かった。最初は14時からはじめて、終わってから少し飲みに行って、帰るのは終電間近だった。信じられない集中力と体力だった。
気がついたら「シンドイ」って言うようになってた。で、禁煙するようになった。痛風の疑いがあるとかで、そのうち禁酒するようになった。調子の良い時もあったのが、だんだん、体力が落ちてるみたいだった。調子良さそうな日が、だんだん無くなっていった。
去年あたりは、椅子に座る時間も多かった。しばらく、カロタイプに出勤しない時期もあったけど、「引っ越し先の家の建築が大変なのかな?」くらいに思ってた。出勤しても、日々、本当にしんどそうだった。それでも、WS休まなかった。白岡さんが、講評講座、辞めるって決めた時は、頷いて「そうしましょう。」(もう、みんな講評講座で白岡さんのアドバイス受けなくても、自分でやれますよ。)って思った。
ネットにあがってる写真で白岡さんの姿を目にすると、「この時、もう、病気だいぶ辛かったんだな。命削ってたんだな。」って、今頃、自分が、いろいろ、あまりにも不甲斐ない事で申し訳なくなって、謝りたくなる。
白岡さんは、必ず自分の考えを言う。「僕は、そうは思わんね。」(人の意見に同意した事ない。)
意外にせっかち。缶ビールの空き缶は、片っ端から片付ける。(座っててくださいよ。って思うけど。)
「いーから、いーから。」って、なんでも自分でする。(先生っぽくない)
銀塩写真はじめて日の浅い人には印画紙現像する毎に「どうなった」って、プリント見てアドバイスする。本当に丁寧に教える。手抜きない。
気配りの人。
納得できない事は、絶対承諾しない。
どうせやるなら良いものを作りたい。(妥協無し、今それ言わんでよ。って事でも良いと思ったら、やる。)よく辞書を引く。「それは、どういう意味なの?」
計算好き、メモ魔、いろんな事をすごくよく覚えてる。
「どうしたいんだね?」
「どっちが好きなの?」「好きか嫌いか、はっきりしなければ。」
「写真で何がやりたいんですかね?」