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2012/03/15

コメント

リンク先を見て、びっくりw

上から目線云々はそうだと思います。
日本語は主語がなくても通じてしまうけれど、出来る限り「私は」という姿勢は持っていたいと思っています。

話が飛ぶようですが、哲学者の中で一番偉いと思っているのはデカルトです。
あの「コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)」は哲学的にいまだに突っ込まれていますが、これが重要なのは「私」というものの存在を明確に宣言したところです。

なんかね、急にリンクしちゃったんだよね。
FB上で見かけた瓦礫処理賛成の意見を読んでいて、抽象的な言葉が並んでいてリアリティなくて、「善意の自分」に酔ってる風だったものだから。あぁ雰囲気に酔ってるね。って。
せめて「あなたが必要であれば手を貸します。」「私は、○○ならできます。」or 「やりたいです。」って言えば良いのにね。って思うわけだよ。
もっと自分の手の届く範囲で、でも、隣の人と手をつないだらでっかくなるよ。みたいな地道な感じで語ってくれたら届くのになぁ。って。

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