その昔、写真といえば報道写真でドキュメンタリーだと思っていた。子どもの頃はベトナム戦争あったし、世界のどこかで戦争してたような。
いまだに戦争は減る様子はないし、不条理は相変わらずだ。ジャーナリストの仕事は一時注目を集める。それは重要な事だが、それが継続しない。だから私は「私」を主語にした事がしたいと思った。そしてココまで来たわけだが、写真展が終わるとアレッポの人々が最後のメッセージをSNSポストしてるとTLに流れてくるようになり、写真展後の充実感とのコントラストをどう扱っていいか分からなくなった。
机の上に置いてある、ベルクで買った紛争前のシリアで作られたアレッポの石鹸を眺めながら、「使えないや。」と、石鹸をなでる。
とりあえず、SNSで流れてくる支援の情報を保存。
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