飲み屋で、おじさんに、「写真やってるなら見ると良いよ」って、勧められて(その時は日本では、まだ公開されていなかった)早1年近く?経ってると思われるが、「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」をやっとこさ見る。そして、野垂れ死か? それとも、がんばって作文して、せめて、もう少し作品を外に発表できるようにするか?と、考える。
ヴィヴィアン・マイヤーは、お金持ちのお家で家政婦やら乳母やらの仕事を転々としながら、写真を撮って、まったく作品を発表せずに野垂れ死んだ(この表現は誤解かもしれないが、それにかなり近いと思う、もしくは、”孤独に死んだ”?)フォトグラファー。死後、偶然発見され作品が世にでる。
彼女の名前は、2011年の夏、シャルルドゴール空港の売店で買ったファッション誌の彼女を紹介する記事で知った。掲載されていた彼女のセルフポートレイトがかっこ良くて、英語の記事は何が書いてあるのかわかんなかったから、成田へ帰る飛行機の中で、写真だけ、まじまじ見て、アルル帰りの頭で「こんな写真撮りたい。」とか能天気に考えてた。
貧困層に属して、写真なんかやってると、私の人生に、この先に野垂れ死が待っている事はかなりの確かな事なので、私にとって、この映画は、かなり重い。膨大な写真を撮って、未現像フィルムが大量に残されており、しかし、生前、全く作品を発表していない。誰にも見せていない。多分、発表したかったんだろう、でも、何で外に出せなかったのかな。理由はいくつか思いつく。帰り道を歩きながら、やりきれなくなる。死後に写真がブレイクしちゃった事で、さらに、切なくなる。
映画の中で、彼女の作品を解説している、ジョエル・マイロウィッツが良い感じだ。ローライフレックスをいじってる所作が、良い。手がカメラに馴染んでるっていうか、カメラが手に馴染んでるっていうか、美しい。
ラボのシーンが気になる「LPL?の2本タンク?使ってる?」「"絶対"失敗できないフィルム現像したくないなぁ。」、「ピンセット使わず、ゴム手袋で直接手で撹拌してるよ。」とか、「お〜。巨大プレス機」とか。「え!アーカイバルしたプリントの裏にスタンプ押すのかよ!」とか。
彼女自身がプリントした写真も出てくると良かったんだけど。