甘夏寒天食べちゃったから今度は牛乳。寒天の何が好きって崩れる食感が好きなんだよね。粉末のは作るの簡単で良いね。いつまで続くのか寒天ブーム。
さて、拡散してまとまらない、そろそろというわけで。
国会前の安保法案反対のデモに行く前に、友達に、「今日はちょっくらお出かけ。国会議事堂前にデモに。金曜日はデモの日ですよ。」と、言ったら、「…写真の事を考えたら、他の事は、考えられないじゃないですか。」と、返ってきた。
これまでの人生の前半戦では、日々の居心地の悪い事やら、社会の「?」が気になったり、「プンスカ」することが日常にあったので、「自由を侵害するもの、しそうなもの」に捕われる事は、ごく自然な事かもしれない。よって写真の事を考えたら他の事は考えられないって考えた事は無い。そう言う意味ではもしかしたら写真原住民では無いのかもしれない。写真の事は考えているけれども。
いわゆる市民運動って物からはかなり長い間ご無沙汰していた。戦後、イロイロな市民運動があったと思う。が、「団塊くんたち がさわいで、散らかしまくった後、結局、市民の側で獲得した物って何だろう?」って、疑問が出て来たらご無沙汰する事に。
彼らはハデな事したし、デモもすごかった。しかし、結局、自民党が与党であり続 けた。変わらなかった。「それってどういう事なんだろうか? 」「選挙が全てなはずなのに、なぜ、選挙に繋がらなかったんだろう?」 「とっちらかしてオトナになった団塊くんは、何したんだ?」「タダのガス抜きだったのか?」
デモしなくなっても選挙があったはずだ。
市民の主張が激しくなると、弾圧される、自由が制限される、そんな事が繰り返されたあげくに、選挙制度も小選挙区制なんか導入されて、与党は安泰。と、前世代からの市民運動って物に、何かが違うぞと不信感が芽生え始めた。
そんなわけで、市民運動じゃないだろう、”私”を煮詰めて何かした方が良いんじゃないか? 出会った前と後で、受け取った人の中で何か変化が起きるような物。と思って、後半の二十年あまりの時間を過ごしてきた、写真に出会って十年程経過。
前世代を否定してココまで来た。デモじゃないだろうと思ってきた、けれども、もしかしたら今まで反対を言わなさすぎたのかもしれない。与党多数なので遅すぎると自覚しつつ、転向してデモに参加。体を使った事は忘れないだろう、と、自分への戒めの為に。今更ながらの解釈改憲反対。
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