以前、ネットで見つけた「室内」演出したクロード・レジ+宮城聰のトークが興味深く、それ以来、静岡の演劇祭に行ってみたいと思っていた。5月4,5日と、念願の「ふじのくに⇄せかい演劇祭 2015」へ行って来た。3つの作品見た。印画紙換算で1ベルゲール小全紙(ヨドバシ価格)の旅。
静岡駅を降り、昼ご飯をどこで食べるか決めかねて、東静岡駅にたどり着いたら何かあるだろうって、1つとなりの東静岡駅へ、改札出たが駅はやたらとデカイ、駅前もやたらと広いが、ご飯する所が何も無かった。小さなキオスク1つ。静岡駅で何か食べれば良かったと、少々後悔。バス停で案内しているおじさんに聞いたらラーメン屋くらいしか無いなぁ。でも、ちょっと遠いらしく、30分後の12時のバスには間に合わないと言われ、キオスクでおにぎりとあんパン調達して駅の隅で地べたに座り込んで、もぐもぐ。と、この自分の行動を考えるに10,20代の貧乏旅行だな。広いけどベンチ1つも無い。確か、演劇公園に食堂あるってwebに出てたよなぁ。そこで何か食べればいいか。って、再びバス停へ。雨!野外公演あるのに。雨の野外公演って貴重な体験になるのか? カッパと長靴と防寒着が大活躍するのか?期待満載。
演劇公園って丘に作られた大学みたいに施設が点在してるのかなぁ。って、思ってたら、まぁ、そうだけど、目の前は茶畑な、なんとも長閑な所。
開演までの間、待合いで軽食、飲み物の販売があった。が、さっきおにぎり食べちゃったんだよなぁ。って(この時点では、まだ、食堂やってると思ってた)、公式ガイドブック500円(安い!)を購入して解説やら出演している劇団のコメントを読みふける。しかし、「ベイルートでゴドーを待ちながら」のファーディー・アビーサムラーとイサーム・ブーハーレドの文章の冒頭3行読んで、なんか、これ読んだら泣きそうだから今読むのダメだって思って読むの我慢する。
冒頭だけ、ガイドブックから転載。
『ベイルートでゴドーを待ちながら』について
私たちは手に手を取り合って、
絶壁のへりをめがけて歩みを進めています。
転落のあとには死が訪れるでしょう。
…
ファーディー・アビーサムラー
イサーム・ブーハーレド
■ レバノンの演劇「ベイルートでゴドーを待ちながら」(原題:Page 7) 5月4日13:30〜
ベケットの「ゴドー…」の形を借りているわけだが、内容は、はるかに現代。ゴドーを見た時のような物足りなさは感じなかった。上演後の質疑応答が内容を理解するのに助けになった。レバノンの事を知らないので、風刺が含まれた部分は見ただけで分からない。小さな小さな、笑える、冒頭からおちゃめ、でも奥深い、思いやりたっぷり、見終わった後にとても悲しくなる。そして考える。
「間」がキーワード。生と死の間。むこうとあっちの間。対立しているもの間。知っている者と知らない者。「間」に挟まった、落ち着かなさの表現が絶妙。二人しか居ないのに、「お前の間に挟まって…。」「何で間があるんだ。」て、台詞。
「色」言葉で色の名前がたくさん出て来るシーンがある。レバノンでは宗教、政治、グループがシンボルカラーを持っている。2007年2008年頃は、着ている洋服の色で、「○○支持者なのか!」と、批判されるような状況があったらしい。洋服着られないよ〜。
「死」レバノンで「死」はルーティーン化している。そして、死を「殉教」と扱うか「犠牲」と扱うか、分裂がある。
「Page 7」レバノン新聞の第7面に訃報欄があることから。原題のままだと日本では分かりにくいのでは、ということで、邦題は、別のものにした。らしい。確かに、「ゴドー…」を知っている人なら、かなりなイントロになるね。っていうか、訃報欄って紙面が出来るって事が、どういう事なのか未知との遭遇。
最後に、照明が落ちて「ゴドーを待ちながら」の台詞が流れる。「ゴドーさんが木の所で待ってろって…」
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