ココんところのガザの酷い状況がマスコミを通さずに、あえて頑張って探さなくてもダイレクトに自分の所に悲惨な状況が届くようになった。検閲orマスコミの自粛もガイドラインも無しだ。
でも、自分がその写真でショックを受けたとしても、そんなものは、戦場で殺されそうになっている人達の恐怖と比べたら、安全地帯でのお伽噺みたいな物だもだから、私は、その状況を知らせてくれた人を責めたりしない、責めるなら戦争を起こした人達にするべき事だと考えるからだ。
とか、グルグル考えたり、写真のせれくとがぁー。ってグルグル考えたり。グルグルしてるだけで時間が過ぎて、世間では花火なんかやってて、あれ?暑いけど、いつの間にそんな季節にぃ?ってなんだか引き蘢りな人生が際立つ今日この頃。
今日のカロタイプ講評講座。写真友達の写真がとても好きな写真で幸せであったよ。白岡さんのコメント「イライラさせられる写真だな。」「見えるような見えないような」私は、全然イライラしなくて、多分、いつまでも見ていられる写真だと思った。だから、白岡さんのコメントは自分にとって面白いヒントだった。私は、"無い"を楽しいと感じるんだな。欠落してるとか、あるべき物が無いとか、なるほどね。
黒く潰れたシャドーとか、好きだものね。
”自然は美しい”とされているから、そうなんだろうと学習してるけど、”自然は美しい”は、本当にそうなのか私は知らない。しかし、高速道路沿いで見かける雑木林は単純じゃなくて、楽しくていつまでも見ていられる。杉が植林されている整然とした様子は飽きる。
フランスのお土産貰う、写真展のカタログとか。嬉しー。
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