昨日のプリントを確認しにカロタイプへ。ハイライトの落し所に少し悩む。
妹と待ち合わせて、山本現代へ。
現代アートのギャラリーは写真の貧乏臭さとは無縁な雰囲気でアウェー感ありあり。っていうか貧乏臭いのは自分か…。
見に来ている客層がお金持ちっぽいし、作品を買いに来てるっぽい人が居たりして、作品の金額もケタ違うしね。
それはともかくとして、「未来の体温 after AZUMAYA」。
キュレーターは椹木野衣だったんだけど、参加している作家と東谷くんの作品が拮抗していないし、釣り合いがとれていなくて、なぜ、ココに東谷くんの作品を持ってきたのか、何故、東谷くんだけにしなかったのか、椹木さんが、何を考えているのか全く理解出来なかった。ただ東谷くんを担いで集客したかっただけなんじゃない?とか思っちゃった。というわけで、他人の褌で相撲をとるなら、文章でかっこつけずにちゃんと中身の構成で勝負して欲しいとか思った。評論家だから文章でかっこつけるのは職業なんだろうけどさ、キュレターしなきゃいいのに。
昨日FBに流れて来た友達のポストを思い出した。こんなポスト↓
「自分を評論家などと呼ぶ連中は何かを作り出す方法を知らないんだよ。知ってりゃ人の作品にあれこれ言わずに自分で作り出すはずさ」
ミリオンセラー連発のサスペンス小説家で一昨日亡くなったトム・クランシー氏の言葉。
で、同じビルにあるLondon Galleryもちょっと覗いた。古美術のギャラリーで、「あ、さらに違う所に来ちゃった」って思たけど。長谷川等伯の屏風あった。まじまじみちゃったよ。え、長谷川等伯… 江戸時代より前の作品だよねぇ。時間っていう試練を耐えたってだけでスゴいね。現代アートの後に古美術見ると、「なんだか現代アートってさらに軽くなっちゃうなぁ」なんて思ったりした。
で、妹とご飯食べて、お茶して帰った。
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