「写真に自分が写る」って、写真をやっている人がよく言う事なんだけどね、ホントか?
自分はこの言い方やら考え方に大疑問中。「なんか違うんじゃない?自分なんて写るわけないじゃん。」って疑っているんだよね。明確にそう思ったのは2,3回くらい前の公表講座の時だけどね。よそでもこんな事が言われているのかな?音楽、文学、詩やら短歌、俳句、他の現代アートなどなどの、他の作品作っている人たちの世界でだけど。あと、日本以外でもこういう事言うのかな?
例えば、文学で「作者自身が書かれている」とか言われるか?今時?そんな作品読みたくないよなぁ。とか。
写真って撮影してセレクトとしてプリントして、”自分が持っているフィルター”にかけて抽出したものの集まりってだけだよね。そもそも”自分”って何かな。ワレオモウユエニワレアリだっけ?でもさ、他人が居ないと自分って無いよね。
「自分なんて輪郭でしか無いんじゃないの?」とか考え中。これは、写真を発表し始めたころからある感触なんだけどね。
それで、春と修羅を書いた宮沢賢治はしみじみ天才だなぁ。って思うんだよね。
カロタイプの講評講座に行っていて何が良いって、昔に誰かに言われた全然分からなかった事が分かったり、リンクしたり、「あー。この事だったのか。」って分かる瞬間が、本当に、時々あって。そんな時はすごく嬉しい。
あとは、ひたすら「話は聞いても言う事聞かない」を実践中。(^^;;
>自分が持っているフィルター
というよりも「自分がフィルター」だと思います。そのフィルターはオンリー・ワンです。
だから、その人の色のが出る、つまりその人が写っている、ということではないのでしょうか。
そこでしっかりと思考がなされていればその色がオリジナルになるのでしょうが、経験で得たものに引っ張られていると誰かさんみたいだと言われかねないのだと思います。
投稿情報: ろくろく | 2012/04/24 23:15
フィルターはオンリー・ワンなのか。そうなのか。
投稿情報: さるぢえ | 2012/04/26 21:13
Thanks for taking the time to post. It's lifted the level of deatbe
投稿情報: Jeff | 2012/06/04 04:53