今週はディスコミュニケーションな出来事がドカドカとあって、消耗。
今日は、モンゴルでお世話になった方が来日したのでお食事会。楽しかった。
お食事会まで時間があったのでベルグでお茶。ココは家主のルミネとディスコミュニケーションに陥っているお店だ。
レジ前のショウケースの上で缶バッヂが売られているのを見つけて、カフェオレと一緒に買う。
昨晩に続き、今晩も「声をひとつに ~パレスチナとイスラエルの音楽家たち~」というドキュメンタリーを見る。ディスコミュニケーションのるつぼのような場所に住む音楽家達が集まってフランスでコンサートツアーをする様子のドキュメンタリー。ツアーのプロデューサはフランス人。ドキュメンタリーもフランスの制作。政治と宗教の話題はタブー。プロデューサの交渉能力がすごいなぁ。と、思いながら、音楽という共通言語をたよりにコミュニケーションを成立させていく音楽達。
あ〜。そうか。ある目的のために、ルールを作って、持ち寄るのか。
持ち寄ると言えば、一番最初にグループ展に参加した時の事は今でも私にとって転機だったと思う。参加者がそれぞれできることをやって、絶妙な配置で物事が上手く運んだ、一人一人が無理せず時間と手間を持ち寄ってできた事だった。誰が主催者だとか上下関係なく非常にフラットな人間関係だったのが良かったのかもしれない。そしてみんな大人だった。
大人という言葉に抵抗を感じる事があるけど、ルールを了解している人の事なんだろうな。多分。
ディスコミュニケーションって、その持ち寄りがうまくできない時に起こるんだね。ディスコミュニケーションのあれこれで気づく。
コメント