「イラク崩壊」を読み終わる。いろいろ考えちゃって消化できるんだろうか。
吉岡君、人に暖かくて、情報を集めてデータを積み上げて文章を書いている。なかなかのジャーナリストぷり。普段の食えないオヤジな風情とは大違い。見直す。
「アメリカまた、ベトナム戦争みたいな事やって学習しないなぁ。」なんて漠然と思っていたのですが、ややこしくいろんな事が絡まっちゃっていて、絡まっちゃった糸をどうどうやったらほどく事ができるのかしら?
「石油のために軍隊突っ込んだんでしょう〜。」と思っていたのだが、どうも違っていたらし
い。
イラク周辺の国の事にも触れられており、鳥頭の私でもイスラム教の国の事を少し理解する。
イラクが壊れていく様子を読みながら、実は、最近の消耗ばかりの日々の事が頭をはなれないでいた。自分のまわりでさえ、正気じゃない。
言葉ではいくらでも嘘をつける。
心もとない言葉を信じる時はどんな時か考える。
信頼関係の「ある」or「なし」? じゃ、「信頼関係って」?
いろいろ考える。まとまらず。
最近は、ルポルタージュほとんど読まなくなってしまった。
なぜ読まなくなったかと言えば、悲惨を羅列しても、その悪事に対していっとき批判的になるけど、外から見るだけの悲惨には慣れてしまう。
写真で言えばフォトジャーナリズムの悲惨てんこ盛りの写真は慣れちゃう。
誤解されれそうだけど、ジャーナリストの命がけの仕事を否定しているわけじゃないよ、ジャーナリズムだって必要だ。
しかし、素人が深く考えるには、やっぱり「アズールとアスマール」のように美しいものも必要ではないかと改めて思った。美しいものは心に残って反芻できるでしょう。押し付けがましくなく、美しく、しかし芯のあるもの。
あー、思い出した。
そう、それで、私は、手にしてくれた人の側で、ちょこっと在ってくれる、ささやかにおまぬけなものとか、ささやかに美しいものとか、ささやかにいとおしいものを作ろうとイラクで戦争が始まった時に思ったんだった。
あん時もウツっぽかったなー。雅楽演奏家の友達の演奏聞いて、遊んでもらって助けられたんだった。
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