「ベイルートでゴドー…」良い作品だった。と、満足しつつ。脳みそ君、ちょっとグルグル始まりつつ。係の人に、次の公演まで時間潰せる所は無いか聞いてみる。「下のカチカチ山という食堂が空いています。」「でも、営業していません。」と教えられる。「ありがとう。」と、答えつつ。むむ!なんですと!営業してない!「あの、何も食べられないって事ですか?」と、尋ねたら、「また、待合いで軽食販売します。」と、教えてくれたので飢え死にはしなさそうで安心したが、何か暖かいもの食べたい気分だった。こんな時に限って、カバンの中には飴ちゃん数個しか入っていない。心細い。
食堂への道を上がっていく。雨。調理場は動いてるけど、スタッフの夕食賄いを作ってる風情。昼ご飯を食べ損なったスタッフさんが、お昼の弁当食べに来たり。次の公演待ちの人がお茶飲んでたり。とりあえず、腰掛けて「ベイルートでゴドー…」の公式ガイドのコメントを読む。やっぱり涙出る。感想メモする。晴れてたら、その辺をウロウロして写真撮ったんだけどね。雨で肌寒い。自販機のカフェオレ(あったかい)は、準備中のまま。開場までノンビリダラダラ読書。雨、止まない。
■日(静岡)・仏の演劇「盲点たち」 5月4日 19:00〜
野外(日本平の森)で上演するって聞いて、実は、かなり興味津々、期待満載、期待し過ぎてションボリするパターンは多いが。期待度高まる。いそいそと受付。「カバン預かってもらってるんですけど。」「このまま預かりますよ。」「中にカッパとか入ってるんですけど。」「今日の上演は屋内になりました。」「が〜ん。」。待合いで、カツサンドもぐもぐ。スタッフの人と公演について少し話をする。野外は役者が大変らしいという話を聞く。集中するのが難しいらしい。そうだよなぁ、だって、冬の話なのにカエル鳴いてたらちょっとね。難しいよね。日仏でのダニエル・ジャンヌトーのトークショーでは、「すべてを受け入れてくれ。」と、役者に話をしたとか言ってたな。フランスでは屋内で上演していて、野外公演は日本で初めての試みだとも言ってたよなぁ。
今回の屋内バージョンは、野外バージョンと平行して作られている。今年の春は天候不順だったので、雨天のために準備したもので、単純に屋内で上演するって事では無い。上演の機会が無いと思っていたので貴重な機会、とプレトークでジャンヌトーさんのコメント。
舞台といっても客席が舞台、舞台が客席、その境目が無い。観客であり舞台装置、舞台装置であり観客。椅子はランダムにいろんな方向で置かれており、正面が無い。観客も俳優(観客に混じっていて最初はわからない)も同じように席につく。スモークが焚かれていて、視界を少し遮っている。天井のライトが1つだけ灯っており薄明るい。登場人物達はすべて盲いた人で、場所は森の中?という設定。芝居が始まると視界から外れたシーンは音と気配だけ。一瞬、盲いた状態となる。音も遠くから聞こえるような時もある。照明は終わりに向かって徐々に落される。反比例して緊張感と不安は増大。感覚が研ぎすまされる。
メーテルリンクの脚本の翻訳「群盲」を読んで、自分がイメージしていた雰囲気とは少し違った。かなり現代的なトゲトゲした緊張感が続く。言葉も今風な所がある。見ている?座っている?間じゅう、ずっとドキドキ緊張が続く。会場中に不安と緊張感が充満する。最後の最後まで緊張が途切れる事が無かった。自分も当事者になったような。森の中の木か岩にでもなって現場を目撃しているような。未知との遭遇。
演出家のジャンヌトーさんはフランス人で日本語を話さない、しかし、役者は日本人で観客もほぼ日本人。こういう場合、演出家は言葉の壁をどうやって乗り越えるのだろう。台詞の端々が今風な言葉遣いとイントネーションだし。と、少々疑問だったのだが、製作ブログ発見。翻訳家の人が、演出家、役者と打ち合わせをして台本の翻訳を日々微調整して作った事が判明。なるほど。優秀な翻訳家さんだ。
終演後、ちょうど控え室から出て来た、ジャンヌトーさんに「メルシーボクー。トレザンテレッサント。(rの発音かなり日本語訛のまま)」と、声を掛けて頑張ってみるが、他、何も言えず、あとは通訳の人に訳してもらった。
「野外バージョンが見られなかったのは残念だけれども、緊張と不安が会場に満ちていて、とても良い公演だった。」
と、貴重な屋内バージョン見られた。雨で良かった。
↓演目とは何の関係もない静岡の街