従姉妹が子どもを産んだのだが、育児書やら読んだあげくに、「自分はこんな事できない。」と思ったとからしく、育児ノイローゼらしき状態に陥り。心療内科に入院。で、家の母ちゃんが育児の手伝いというか、父子家庭に住み込み乳母状態。病気に引きこもっている間に子どもが育ってしまうねぇ。な状態。
Twitterで母ちゃんと、従姉妹の様子やら赤ちゃんの様子やらチャット状態であれこれ話をしたあげくに、「子育ては、だから面白いのです。」というつぶやきがポストされてきた。子育てが面白いと母ちゃんが思っていた事に「えぇー、そうだったの。」と吃驚した。「育てなしょうがないから、育てたんだがね。」(名古屋弁)と、言っていたような記憶があるんだよね。子育てられてる私には、面白いという実感が無かったしね。
今日はフィルム現像して、お昼ご飯食べて、XTOLを作り置きボトルキープして、ベタとったら終わってしまった。変だな。
家に帰りたくない病。
政治的にとか、写真的に自分が少数派である事は自覚しているのだが、日常でも少数派である事が判明。
隣の家の人から要求2点。
1. 落ち葉が飛んで来て汚いから掃除してくれ
2. 家境界線上にあるブロック塀が揺れて危ない
1.は、どうでも良いと思っている。掃除してなくても死なないし。葉っぱは落ちるもんだし。
私しとしては、2の訴えは速攻で最優先で対応する内容だと思った。対策をせずに何か起こったら完全にこっちが負ける。
「げ!何かあったらまずいじゃん。」
「早く手を打たないと、地震でもあったら崩れる。」
「それでけが人でも出たら、修繕費どころの話ではない。」
「対策をしていますというアピールせねばマズイ。」
この家の持ち主は同居人の父。で母の弁。「掃除しないから弱みに漬け込まれるのよ。」と、「掃除」を連呼。
いや、掃除は弱みと違うから。弱みってのは「ブロック塀に何も対策しない事だろう。」と、私は思うのだが? どうも、その主張はよく理解してもらえないようで、「何、急にやる気になってるの?」と返された。
「いや、そこやる気になる所でしょう。」「崩れてけが人でも出たら大変じゃない。」と、返したのだが、価値観が違う人と話をすると、説明すればする程、話拗れるというか、言葉が通じない。同じ日本語なのに。で、関係ない事まで突っ込まれ。で、最後は、「お父さんと相談してから。」
で、隣人の妻。工務店の人に塀の状況を見に来てもらった時に居合わせて、同居人に「掃除」を連呼したらしい。隣人の夫も掃除が気になるらしい。「それよか、ブロック塀の具合だろう?」って思うのは少数派らしい。
幸い、工務店の人が応急処置をしてくれたので、一安心。工事の見積待ち。
このあたりの人みんながみんな、小綺麗に掃除してて、善良そうで、静かで、みっちり住宅が密集していて、多様性とか無いっぽい空気で、息がつまりそうなんだよねぇ。ココは。小汚いパリで深呼吸したい。
というわけで、白岡さんの写真展のポスターを張って眺める。
白岡さんの写真の事も、あれこれ考えたりしてるのだが…。