動いてしゃべっているナマの上野さんを一度見たかったという不純な動機で、上野千鶴子さんのセクシャリティー話を聞きに行く。ちょっと茶髪でターコイズと思われる石を使ったアクセサリーに、爪の先だけ青くしたネイルでかっこいい。概要をてきぱきすんごい勢いで話していく。かっこええ〜。中東話をすんごい勢いで話して行く山内昌之さんみたいだ。っていうか東大で教えるような人はマッチョなのか?
フランス国立図書館のアンさんもかっこよかった。二人とも何かスタイルというか、オーラというかそういうものがあるような気がする。
で、だ、30年前に比べれば確かに変わってきたんだろう、しかし、あいかわらずというか、まだそう言う事言う人いるんだ。という事も事実で、”まだそういう事”言っている人が幸せなのかそうじゃないのか他人の事なのでどうでも良いのだけれど、男女の役割を無意識でやっている人多いんだな。確信犯でやってるならわかるけど、「男女というのはそういうものよ。あなたもそのうちわかるわ。」って、上野さんの前でその台詞を言ってしまうって、型にはめられて作られた思い込みと欲望とあきらめと、ごちゃごちゃじゃん。そこんとこを、知識を武器に切り分け言語化して、自由になろうじゃないか。あなたが望むなら。って言っているのに。 (そうだよね)
あ。自由を望んでいない人だったのか。まぁ、いいや、他人の事だから。でも、上野さんが歩んできた学者の道も茨というか思った以上に険しいものだな。私は上野さんやら、彼女のようにメジャーじゃなくても日々頑張っている人たちの後から歩いているので、険しさは漠然と想像するだけなんだが。
男と女の役割やら型から自由になっていない人って多いんだな、自分を含めてね。型なのか欲望なのか切り分けるのは難しのだけれどね。
で、その後、東京に来ていた母ちゃんとお茶する。彼女と話をしながら思い出した事↓
彼女がもっと若かった頃(私は小学生低学年だった気がする。)彼女はある人から「あんたが男だったらなぁ」と言われた事があった。当時の私は、その言葉は母に対する褒め言葉に思っていたのだが、今なら「女じゃダメですか?」って反撃するね。
小学生の私は、女で居る事が嫌だったからね。今考えると多分、女の子の集団に属さなければならないのが苦痛だったんだろうな。(今にしてみれば、それは思い込みなんだけどさ)男の子はいいなぁ。とか思っていた。小学校ってホント良い事無い場所だったなぁ。