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ルーニィへ山下恒夫写真展「15歳の日々」。ご本人が中学生のときに撮った写真。なんていうか、もう、最初からできてる。最初から山下写真。で、中学校楽しかったのかなぁ。と、自分の中学生時代と比較すると、かなり楽しそうだなと。
で、中学生で写真をやらせてもらえる環境ってのも、すごいな。と、思ったり。
ついでに、問屋街の周辺をウロウロ。撮りどころいろいろ。
馬喰町駅の煤けた具合をどう説明するのか考える。
MOORITという毛糸のお店に寄る。ちょっと高い。でも良い毛糸たくさんある。悩みまくって決められず、とりあえず、糸、道具の説明、英語編図の読み方、デザイナー紹介されてる本買う。お店に置いてあった黒檀の編み針が気になる。編みやすいらしい。
プリンス一周忌でこの間、結局聞いてるのはパープルレインだったりする。
いつ買ったのか忘れたけど、バラの枯れ方が緩慢で、なんか違和感。
チラシのデザインを頼まれた。レイアウトを考える時、フォントを大きくする。すると、見た事ない文字のように見える。あの感覚は何なんだろう。ゲシュタルト崩壊なのか、何か、変だよなぁ。
凸版印刷の印刷博物館の企画展がフォント、で、気になっていたので見に行く。フォントを作る仕事は手間のかかる事だろうと思っていたけど、想像以上であった。
ちびちびと読んでいた、パク・ミンギュ著「亡き王女のためのパヴァーヌ」をココ2日で急に一気読み。タイトルが好きな曲だったので先入観ゼロで買った本。装丁も綺麗な紫で目に付いた。改行の仕方が独特で、時々太字になったり、言葉が強調されたり、リズムを崩したり作ったり字面が面白い。昔に行った事のあるソウル空気を思い出す。「春のクライマックス」という表現が好き、ちょうどう夏が混じってきた今時の季節のような感じだろうな。日本の断片も混じっていて、韓国は近い国なんだと思う。で、冷たいようだが熱くて、体温が高い気がする。人に対して情熱的だと思う。恋愛小説という形をとっているけど、生きる事やら、ルッキズム批判やら、資本主義批判やら、なんやかんや語られる。
読み終わって、死んでしまった友達の事を「元気にしてるかな」と、思い出さなくなっていた自分に気づいた。
ブログ書きたい事があると思ってたはずなのに、何書くんだっけ?と、なっている今日このごろ。
和菓子屋でおやつ調達したら、おまけにどら焼きもらった。
デザインの本を買うつもりで本屋の本棚の前で悩みに悩んで、買うつもりじゃなかった欧文タイポグラフィーの本を買ってしまった。組版が目に入りやすかったんだよね。あとは、特殊印刷とか加工の得意な印刷会社やら紙加工の会社を紹介した本。
手芸屋で、編み物の本探しまくり、「こんなの作りたいんだよね。」ってセーターの編み方載ってるの見つける。レジカウンターには「ぼんのうくん」の作り方あります。って、書いてあった。そういえば「彼らが本気で…」の最後の偽乳のシーンが実は解らなくて、なんとなく脳みそに置いていたのだが、やっと、「あぁ。そうか」と、とりあえず思いつく。
岸政彦著「ビニール傘」読んだけど、読めるけど、密度が足り無い気がする。販路があるから芥川賞のファイナルまで残ったのかな。社会学の本とか研究の方が良いと思った。
ポスターいっぱい展示してあるらしい事をききつけ、八王子の美術館に行く。八王子空間が広くて、どこかの地方都市みたいな所だった。廊下に展覧会の告知ポスターびっちり貼ってあって、そっちも気になった。
週末、新宿に行ったついでに新宿ニコンサロンに寄る。写真友達に遭遇。
ネットでしか買い物しなくなった写真用品ですが、久しぶりにリアル店舗へ。ヨドで暗室用品売り場は当然上の方と思ってたら売り場変わってフィルム売り場の隣のコーナーになってた。コンパクトにコーナーに収まるようになってしまったんだな。ベタ用の印画紙が残り少なくなってたから、とりあえず印画紙買う。20枚で4千円越え。高っ!
紙博に行く。人が多すぎて煩悩爆裂しなくて、何も買えずに撤退。財布は助かったが、ちょっと寂しい。
約1ヶ月ぶり?くらいに整体。
かつてなくヤバかった。先週から体が冷えて冷たいままとか、早寝しても、きっちり3時間おきに目がさめるとか、首の筋が疲れてるとか、体動くけど限りなく不調。
酸素欠状態から少し改善したみたいで、頭がクリアで漠然と心拍数が落ちている気がする。オイルマッサージ付きなのでお肌すべすべ。
まだ、頭の隅に居座ってる、「政治に関わってダメになった作家を見てきた。」という友人の言葉は。マドンナにも同じように言うだろうか?レディー・ガガにも言うだろうか? メリル・ストリープにも言うだろうか? ロバート・デ・ニーロにも言うだろうか?
このセリフは日本的だよなぁ。と、思う。今ごろ。
ココに生まれて育つと、今の日本がどうしてこうなっているのか?という事は義務教育中には教えてもらえ無い。社会の事を考えるための基礎知識はインストールされない。何か漠然とでも「?」と思わ無い限り日々流れていく。つまりは、そういうふうにできてるんだよね。ダメになった作家たちが政治に関わってダメになったのか、ダメな社会だったからダメになったのか?どっちなんだろう。
少なくとも、その作家たちにとって、生きやすい環境じゃ無かったことは確かだな。
積ん読タワーが、というか、山ができかかっているので、まずい。早く読ま無いと。
昨日書き忘れた。
「彼らが本気で…」の、小さな希望は、トモが帰宅する部屋の誰もい無い様子。部屋が片付いている。お母さん一晩掃除したんだな。ちょっと安心する。
自分もそうだが、部屋散らかっても死な無いから掃除の優先順位は低い。ある意味それはセルフネグレクトなんだろうけど。と、思う。だからギリギリの所で、いや、普通からしたら大分ヤバイ状態かもしれないが、で、掃除する。
昨日、神保町の古本屋街はワゴンセールやってた。CD売ってる店もあり、探すともなく漁ってエジプトの音楽のCD300円を見つける。ジャケ買いだけど。エジプトの音楽ってヨーロッパの古楽みたいでもあり民謡っぽくもあり。嫌いじゃ無い。
ある時期忘れてたけど。
保育園の昼寝の時間、そのころは昼間全然眠くなくて、まんじりのつらい時間だった。起きてると怒られるし。
空いてるブランコで遊びたかったが、それせずにおとなしくしてたんだよな。私、ブランコで遊べば良かったのにな。と、いちばん古い後悔が何故かこの歳になって気になってしょうがない。
いろいろあるのだが、いろいろありすぎて。。。
そういえば、「彼らが本気で編むときは、」の事を書いてなかったような。いい映画だとは思う。登場人物が多いってわけじゃないけど、多様性がある。男性も普通に家事する。
リンコがおとぎ話の女性に見えるくらい、女性で、どうなのだろう?と、思うが、それは置いておく。
リンコの対局に置かれているのが、トモの母親。シングルマザーでネグレクトしてトモを放ったらかして家出しちゃう人。住んでる部屋も機能していない。帰って寝るだけみたいな暮らし。
トモの母親に反撃?の言葉どうするんだろうとドキドキした。リンコは、ちゃんと愛情を受けて守られて育てられた人なので、まっとうに返す、「女とか母とかの前に、まず子供を守らなきゃ。人として大人として」というセリフが出てくる。それ一番だよ。と、思う。
でも、編むって行為は、寒さとかさ、怒りとかさ、何かを堪えるために編むわけじゃないな。私にとってはだが。
多分、バイオリズムが狂ってる。今週はヘタれたバッテリー状態。路上に出る気力無しというか、頑張る気力無し、出たらさらにヘタれるの目に見えてる。1,2週間くらいノドが痛い。咳あまり出無いから風邪じゃない、はなみずは出なくなったのに、アレルギーかな。いい加減耳鼻科行こうかな。今年は耳鼻科の年か。整体も行けて無いから、よけいにヨレてるような気もする。
森元斎著「アナキズム入門」読み終わり。ネットでアナキズムをググると、無政府主義とか出てくるけど、なんの事やらサッパリ?なんじゃそりゃ?でしたが、そこはクリア。入門ってタイトルに付いた本って、大抵わかんないんだけどね。著者の方、プリンスについての記事を現代思想に書いてたから覚えてたんだけど、現代思想の文章の方が”思想”って感じに書かれている。それはどうでもいいけど。
アナキスト偉いな、権威、権力になびきもせず、自由目指して地を歩く。
その本で鶴見俊輔の文章が引用されていたので、「身ぶりとしての抵抗 鶴見俊輔コレクション2」を調達。文庫だけど1,300円した。くぅ〜、高い!でも買ったけど。